被爆のマリア像とは?なぜ焼け残った?長崎・浦上天主堂に残る祈りの象徴を解説【日曜美術館】

被爆のマリア像とは?なぜ焼け残った?長崎・浦上天主堂に残る祈りの象徴を解説【日曜美術館】 話題・トレンド

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1945年8月9日午前11時2分、長崎に原子爆弾が投下されました。

爆心地に近かった浦上地区も壊滅的な被害を受け、「東洋一の大聖堂」とも呼ばれていた浦上天主堂はほぼ崩壊しました。

その焼け跡から発見されたのが、現在「被爆のマリア」と呼ばれている聖母マリア像です。

焼け焦げた顔。失われた両目。

それでも残された表情は、原爆の惨禍を今に伝えると同時に、平和を願う「祈りの象徴」として多くの人に受け止められてきました。

2026年8月9日放送のNHK「日曜美術館 長崎 祈りのかたち 被爆の記憶を刻む美」でも取り上げられ、改めて注目されています。

被爆のマリア像とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

その歴史と、なぜ宗教を超えて人々の心を動かす存在になったのかを見ていきます。

被爆のマリア像とは?

「被爆のマリア像」は、長崎市の浦上天主堂にあった木製の聖母マリア像の一部です。

もともとは祭壇に安置されていたマリア像でしたが、1945年8月9日の原爆によって天主堂はほぼ崩壊。

像も大きく損傷し、現在残っているのは主に頭部です。

顔は熱によって黒く焼け、両目も失われています。

美しく整えられた宗教彫刻とはまったく異なるその姿は、原爆が人間や街に何をもたらしたのかを静かに伝えています。

現在では単なる「被爆した美術品」ではなく、長崎の被爆の記憶と平和への祈りを象徴する存在となっています。

浦上天主堂は原爆でほぼ崩壊した

被爆のマリア像を知るためには、浦上天主堂の歴史を知る必要があります。

浦上天主堂は長い年月をかけて建設され、1915年に献堂式が行われました。その後、1925年に鐘楼が完成。

石とレンガで造られたロマネスク様式の壮大な教会で、「東洋一の大聖堂」と称されるほどの建物でした。

ところが1945年8月9日、状況は一変します。

午前11時2分、長崎上空で原子爆弾が炸裂。

爆心地に近かった浦上天主堂は壊滅的な被害を受け、ほぼ崩壊しました。

当時、浦上地区には約1万2000人のカトリック信者がいたとされ、そのうち約8500人が原爆によって命を失ったとされています。

建物だけではありません。

そこで暮らしていた人々、長い時間をかけて築かれてきた地域社会、そして信仰の場そのものが一瞬にして破壊されたのです。

被爆のマリア像はなぜ焼け残った?

「これほど大きな被害を受けたのに、なぜマリア像は残ったのか」

被爆のマリア像を見て、そう感じる人もいるかもしれません。

ただし、「奇跡的に無傷で残った」という意味ではありません。

像は激しく損傷しています。

身体の大部分は失われ、残った頭部も焼け焦げ、両目を失っています。

原爆の熱線や爆風、火災にさらされた天主堂の中で、像の一部分が残ったというのが実際の姿です。

戦後、崩壊した浦上天主堂のがれきの中から木製のマリア像の頭部が発見されました。

発見したのは野口嘉右衛門神父です。

野口神父は像を北海道の修道院へ持っていき、その後1975年に純心女子短期大学(現在の長崎純心大学)が預かり、1990年に浦上天主堂へ戻されました。

つまり現在私たちが見る「被爆のマリア」は、原爆を無傷で生き延びた像ではありません。

むしろ、激しく破壊されたからこそ、原爆の記憶をその姿そのものに刻んでいるのです。

なぜ「被爆のマリア」と呼ばれるようになった?

本来、聖母マリア像はキリスト教において祈りの対象となる存在です。

しかし、この像は一般的なマリア像とはまったく違う姿になりました。

顔は焼け焦げ、両目は失われています。

その姿は、原爆によって傷ついた長崎の人々の姿と重なります。

原爆の惨禍を「説明する」のではなく、自らの傷によって伝えているようにも見えるのです。

そのため「被爆のマリア」という呼び名には、単に「原爆に遭ったマリア像」という以上の意味が込められるようになりました。

被爆した人々への追悼。

戦争への悲しみ。

そして、二度と同じことを繰り返してはならないという願い。

そうしたさまざまな思いを受け止める存在になっていったのです。

焼けた顔や失われた目がそのまま残されている意味

一般的な文化財であれば、損傷した部分を修復することも考えられます。

しかし、被爆のマリア像の場合、傷そのものが重要な意味を持っています。

もし焼けた部分を塗り直し、失われた目を復元して、原爆以前の美しい姿に戻してしまったらどうでしょうか。

彫刻としては元の姿に近づくかもしれません。

しかし、1945年8月9日に何が起きたのかを伝える力は失われてしまうでしょう。

被爆のマリア像に残された傷は、いわば「被爆の記憶」そのものです。

写真や文章とは違い、実際にあの日の熱と爆風、火災を経験した物体が目の前に存在する。

そこに、この像が持つ圧倒的な力があります。

なぜ宗教を超えて「祈りの象徴」になったのか

被爆のマリア像は、もともとはカトリックの信仰に属する聖母像です。

しかし現在、この像に心を動かされるのはキリスト教徒だけではありません。

なぜなのでしょうか。

一つには、その姿が特定の宗教の物語だけではなく、「戦争によって傷つけられた人間」の姿を想像させるからではないでしょうか。

両目を失い、顔を焼かれながらも残されたマリア像。

そこには怒りを表す派手な表現もありません。

誰かを非難する言葉もありません。

ただ静かに存在しています。

だからこそ見る側が、自分自身でその意味を考える余白があります。

犠牲になった人を思う人もいるでしょう。

戦争について考える人もいるでしょう。

家族を失った悲しみを重ねる人もいるかもしれません。

宗教や国籍を超えて、それぞれの人が「祈り」を託すことのできる存在になっているのです。

被爆のマリア像は世界にも渡っている

被爆のマリア像が伝えてきたメッセージは長崎だけにとどまりません。

これまで海外にも渡り、平和を訴える象徴として紹介されてきました。

バチカンやベラルーシ、スペインのゲルニカ、アメリカ・ニューヨークなどを訪れています。

ゲルニカは1937年、スペイン内戦で大規模な空爆を受けた町として知られ、画家パブロ・ピカソの代表作「ゲルニカ」の題材にもなりました。

戦争によって傷ついた長崎のマリア像が、同じく空爆の記憶を持つ町を訪れる。

そこには国や宗教の違いを超えた意味があります。

被爆のマリア像は「長崎の記憶」であると同時に、戦争によって傷つけられた世界の人々へ向けたメッセージにもなっているのです。

日曜美術館「長崎 祈りのかたち 被爆の記憶を刻む美」で紹介

2026年8月9日のNHK「日曜美術館」では、「長崎 祈りのかたち 被爆の記憶を刻む美」と題し、長崎に残されたさまざまな作品が紹介されます。

登場するのは被爆のマリア像だけではありません。

学徒動員中に被爆した飛永頼節による、黄色に塗りつくされた抽象画。

9歳で母を失った明坂尚子が、再生した草木を使って染めたタペストリー。

そして原爆症によって若くして亡くなった池野清が残した、謎めいた樹木の絵。

それぞれ表現方法は違います。

しかし共通しているのは、「あの日」を単なる過去の出来事として終わらせず、作品として後世へ残していることです。

なぜ被爆の記憶を「美術」で残すのか

原爆について伝える方法には、さまざまなものがあります。

被爆者の証言。

写真。

映像。

記録文書。

原爆資料館に残された遺品。

長崎原爆資料館も、被爆の惨状だけでなく、原爆投下に至った経緯や核兵器開発の歴史、平和への願いを伝え続けています。

そこにもう一つ、「美術」という方法があります。

美術作品は、出来事を正確に記録することだけが目的ではありません。

その人が何を見たのか。

何を失ったのか。

その後、何を感じながら生きたのか。

言葉だけでは伝えきれない記憶や感情を、色や形、素材によって残すことができます。

飛永頼節の抽象画も、明坂尚子のタペストリーも、池野清の樹木の絵も、単なる「原爆を題材にした作品」ではないのでしょう。

そこには被爆を経験した一人ひとりの人生があります。

そして被爆のマリア像は、人間が制作した作品でありながら、原爆によってその姿自体を変えられたという点で、さらに特殊な存在です。

人が原爆の記憶を作品に刻んだのではなく、原爆そのものが像に傷を刻んだともいえるからです。

被爆から81年、実物が伝えるもの

1945年8月9日から81年。

被爆を実際に体験した人から直接話を聞くことは、これからますます難しくなっていきます。

だからこそ、被爆のマリア像のような「実物」が持つ意味は大きくなっていくのではないでしょうか。

焼けた顔。

失われた目。

残された木の表面。

それらは81年前の出来事が歴史の教科書の中だけに存在するものではないことを伝えています。

長崎市も原爆に関する資料の調査・収集、保存、公開や、被爆体験を次世代へ伝える取り組みを続けています。

記憶を残すということは、過去だけを見ることではありません。

「これから同じことを起こさないために何をするのか」

未来を考えることでもあります。

まとめ

被爆のマリア像は、1945年8月9日の原爆によってほぼ崩壊した浦上天主堂のがれきから発見された聖母マリア像の頭部です。

顔は焼け、両目を失い、元の姿の多くは失われました。

しかし、その傷が残されているからこそ、81年前の長崎で起きたことを今に伝えています。

もともとはカトリックの聖母像でした。

それが現在では宗教や国籍を超え、原爆で命を奪われた人々への追悼と平和への祈りを象徴する存在になっています。

「日曜美術館」で紹介された飛永頼節、明坂尚子、池野清の作品もまた、それぞれ異なる方法で被爆の記憶を現在へ伝えています。

記録として残された写真や文章とは違い、一つの作品を前にしたとき、人はそこに込められた感情や時間まで想像することがあります。

被爆のマリア像が81年を経ても人々の心を動かす理由も、そこにあるのかもしれません。

傷ついた姿を修復して消してしまうのではなく、そのまま未来へ残していく。

静かにたたずむ被爆のマリア像は、1945年8月9日に長崎で起きたこと、そして平和とは何かを、今も私たちに問いかけ続けています。

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