2026年9月9日放送の『徹子の部屋』に、福山雅治さんが出演します。
福山さんが『徹子の部屋』に出演するのは9年ぶり。番組では親交の深い大泉洋さんとの楽しいエピソードなどが紹介される一方、故郷・長崎や亡き父への思いについても語ります。
さらに注目したいのが、長崎の「被爆クスノキ」を題材にした楽曲『クスノキ』です。
福山さんはなぜ、これほど故郷・長崎を大切にし、その歴史や平和への思いを音楽を通じて伝え続けているのでしょうか。
そこには、長崎で過ごした少年時代だけでなく、亡き父や家族の記憶も深く関係しているようです。
今回は福山雅治さんと長崎のつながり、そして『クスノキ』に込められた思いをたどります。
福山雅治はなぜ故郷・長崎を大切にしている?
福山雅治さんは1969年2月6日、長崎県長崎市生まれ。
高校卒業後の18歳で長崎を離れ、東京へ向かいました。
現在では歌手としてだけでなく、俳優、ラジオパーソナリティー、写真家など幅広い分野で活躍しています。
しかし、全国的なスターとなった後も福山さんと長崎とのつながりが途切れることはありませんでした。
むしろ年齢を重ねるにつれ、故郷について語ったり、長崎に関係する活動に参加したりする機会は増えているように見えます。
18歳で長崎を離れて東京へ
現在の福山さんを見ると「長崎を代表するスター」という印象がありますが、若い頃からずっと故郷にとどまっていたわけではありません。
18歳で長崎を離れ、東京へ。
新しい出会いや経験を求めて、故郷の外へ飛び出しました。
これは地方で育った若者にとって、決して珍しい選択ではありません。
興味深いのは、その後です。
一度故郷を離れ、外の世界を知ったからこそ、長崎という街の歴史や文化、自分自身のルーツを改めて意識するようになったのかもしれません。
「故郷を大切にする」という気持ちは、必ずしも故郷に住み続けることで生まれるものではありません。
離れて初めて分かるものもあります。
福山さんにとって長崎は、年齢とともに意味が変化してきた場所なのではないでしょうか。
福山雅治の父はどんな人だった?
今回の『徹子の部屋』では、福山雅治さんが亡き父との思い出について語ります。
福山さんの父親は、福山さんがまだ若い頃に亡くなっています。
そのため現在57歳となった福山さんにとって、父との記憶は遠い少年時代の記憶でもあります。
しかし、長崎や戦争について考えるとき、その存在は決して遠いものではないようです。
父は終戦当時13歳だった
福山さんの父親は1945年当時13歳でした。
つまり、父親の世代にとって戦争や原爆は「歴史の教科書に書かれた出来事」ではなく、自分たちが実際に生きていた時代の出来事でした。
福山さん自身は戦後に生まれた世代です。
しかし父や祖母など家族の世代を通じて考えれば、1945年の長崎は決して遠い過去ではありません。
親から子へ。
そして、その子からさらに次の世代へ。
戦争を直接経験した人が少なくなっていくなかで、こうした家族の記憶をどう受け継いでいくのかは、福山さん自身が長年向き合ってきたテーマの一つと考えられます。
長崎への思いと「家族の記憶」が重なる
福山さんが長崎について語るとき、そこには単なる郷土愛だけでは説明できない部分があります。
自分が生まれ育った街であること。
少年時代の思い出があること。
そして父や祖母の世代が生きた場所でもあること。
そうした複数の記憶が重なっています。
その思いを象徴する存在の一つが、長崎市の山王神社に残る「被爆クスノキ」です。
福山雅治の『クスノキ』はなぜ作られた?

福山雅治さんが2014年に発表したアルバム『HUMAN』には、『クスノキ』という楽曲が収録されています。
モデルとなったのは、長崎市の山王神社にある被爆クスノキです。
原爆によって大きな被害を受けながら、それでも生き続けた木です。
モデルは山王神社の「被爆クスノキ」
山王神社は、長崎の原爆爆心地から約800メートルの場所にあります。
1945年8月9日の原爆投下によって神社も甚大な被害を受けました。
境内にあったクスノキも爆風や熱線によって大きく損傷します。
一時は枯れてしまったと思われたものの、その後、新しい芽を出しました。
現在も生き続けているこのクスノキは、長崎の人々にとって原爆の記憶を伝える存在であると同時に、生命力や再生を象徴する存在にもなっています。
福山さんも長崎で育った一人として、このクスノキを身近な存在として知っていました。
そして、その木を題材に作ったのが『クスノキ』です。
『クスノキ』は単なる「反戦歌」ではない
『クスノキ』の興味深いところは、人間ではなく「木」を中心に描いていることです。
被爆した一本の木。
焼かれ、傷つきながらも生き続け、再び葉を茂らせる。
そこから感じられるのは戦争の悲惨さだけではありません。
命の強さ。
再生する力。
そして長い年月を生きながら歴史を見続ける存在としてのクスノキです。
だからこそ『クスノキ』は、特定の世代だけに向けた歌ではないのでしょう。
戦争を知らない世代にも、長崎を訪れたことがない人にも、「命とは何か」「記憶をどう未来へつなぐのか」と考えるきっかけを与える作品になっています。
戦後80年に『クスノキ』を新たに発表した理由
『クスノキ』が最初に発表されたのは2014年でした。
それから11年後。
戦後80年となった2025年、福山さんはこの曲を新たな形でレコーディングしました。
『クスノキ-500年の風に吹かれて-』です。
オーケストラや合唱とともに再レコーディング
新たな『クスノキ』では、オーケストラや合唱が加わり、2014年版とは異なるスケールの作品になりました。
ここで重要なのは、福山さんが過去の曲を単に再発売したわけではないことです。
戦争を実際に経験した人が年々少なくなっていくなかで、戦後80年という節目にもう一度『クスノキ』を届ける。
そこには、記憶を次の世代につなげたいという思いが込められているのでしょう。
また、この作品による収益の一部は被爆樹木の保全活動に寄付されています。
音楽でメッセージを発信するだけでなく、その音楽から生まれた収益を実際のクスノキを守る活動へつなげているのです。
福山雅治が長崎で続ける社会貢献とは?
福山雅治さんと長崎との関係は、『クスノキ』だけではありません。
被爆樹木を守る活動をはじめ、さまざまな形で故郷に関わっています。
「長崎クスノキプロジェクト」で被爆樹木を未来へ
長崎には山王神社のクスノキ以外にも、原爆を経験しながら生き続けている被爆樹木があります。
しかし木も生き物です。
年月とともに老朽化し、適切な保全を続けなければ未来永劫残るわけではありません。
そこで重要になるのが「記憶を残す」だけでなく、「実物を守る」という活動です。
福山さんも長崎クスノキプロジェクトを通じ、被爆樹木の存在や保全の重要性を広く伝えてきました。
有名人が故郷について語ること自体は珍しくありません。
しかし福山さんの場合、楽曲を作り、その収益を保全活動につなげるところまで取り組んでいる点に特徴があります。
「過去」だけでなく長崎の「未来」にも関わる
福山さんの長崎との関係でもう一つ興味深いのが、戦争の記憶を伝える活動だけにとどまっていないことです。
長崎スタジアムシティではクリエイティブプロデューサーとして関わるなど、長崎の新しい魅力を作る活動にも参加しています。
ここには二つの方向があります。
一つは、長崎が経験した過去を忘れないこと。
もう一つは、これからの長崎を作っていくことです。
過去を守るだけでも、未来だけを見るのでもない。
その両方に関わっているところに、福山さんと故郷との深いつながりが見えてきます。
福山雅治にとって長崎は「帰る場所」だけではない
18歳で長崎を離れた福山雅治さん。
若い頃の長崎は、もしかすると「外の世界へ飛び出すための出発点」だったのかもしれません。
しかし東京で音楽活動を始め、歌手・俳優として成功し、年齢を重ねるにつれて故郷との向き合い方も変化してきたように見えます。
長崎は自分が育った場所。
亡き父や家族につながる場所。
そして戦争や平和について次の世代へ伝えていく場所でもあります。
さらに現在では、新しい長崎を作っていく活動にも関わっています。
そう考えると、福山さんにとって長崎は単に「帰省する故郷」というだけではないのでしょう。
自分がどこから来たのかを確認し、自分にできることを次の世代へ返していく場所になっているのではないでしょうか。
『徹子の部屋』では大泉洋との爆笑エピソードも
9月9日の『徹子の部屋』は、長崎や平和について考える話だけではありません。
福山さんと親交の深い大泉洋さんにまつわるエピソードも紹介されます。
二人はこれまでさまざまな番組などで共演しており、福山さんが大泉さんのモノマネを披露することもあります。
今回も、そんな二人の関係がうかがえる楽しい話が登場するようです。
一方で、福山さんは故郷・長崎や亡き父について語り、『クスノキ』を弾き語りで披露します。
ユーモアあふれる一面と、故郷や家族、平和について真剣に向き合う一面。
その両方を見ることができるのも、今回の『徹子の部屋』の見どころになりそうです。
まとめ|福山雅治が長崎を大切にする理由
福山雅治さんは18歳で長崎を離れ、東京へ向かいました。
その後、歌手・俳優として大きな成功を収めましたが、故郷との関係が薄れることはありませんでした。
むしろ年齢を重ねるにつれて、長崎とのつながりはより深くなっているように見えます。
その背景にあるのは、単純な「地元愛」だけではないのでしょう。
長崎で過ごした少年時代。
亡き父や家族の記憶。
被爆しながら生き続けるクスノキ。
そして、その記憶を次の世代へ伝えたいという思い。
それらが重なり合って、現在の福山さんと長崎との関係を作っているのではないでしょうか。
『クスノキ』という楽曲を作るだけでなく、実際の被爆樹木を守る活動にもつなげていることからも、その思いの強さが伝わってきます。
9月9日の『徹子の部屋』で語られる亡き父との思い出と『クスノキ』。
福山雅治さんにとって長崎がなぜ特別な場所なのかを、改めて知ることのできる放送になりそうです。


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